Riegesburg城
歴史
Riegersburug城は、1122年に騎士Ruediger von Hohenberg,により建て られました。大昔には火山であった高さ482m丘の上に建てられ、建材に は玄武岩が使われています。 |
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面白いのは城主が数世紀にわたり入れ替わっていることです。 歴代城主の中でもWalseer家が重要な役割を果たします。 Walseerはシュタイヤマークの配下に入る事を拒み、1415年には シュタイヤマークに城を取られてしまいますが、2年後の1417年 には取り戻します。 |
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しかし何と言っても歴代城主の中で有名なのは、Katharina Elisabeth です。 彼女はGallerと結婚をしGallerinと呼ばれます。 Gallerinは1637〜1653年 にかけて城を大拡張し、この城をオーストリアで一番強固な城の一つとします。 |
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城の規模は、2マイルに及ぶ城壁、5つの門、2つの堀、そして108にも及ぶ 部屋です。当時17Cにはトルコ大帝国の最盛期であり、オーストリアは常に トルコと戦っていました |
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Riegersburg城もトルコとの国境は15から20マイルの所、ついに近隣の Mogersdorfで1664年、トルコトの間に大戦争が勃発します。 村民はす かさずこのRiegersburg城に逃げ込み、身の安全を計ります。 時には2、3000人の人々が逃げ込みますが、彼等の命は助かります。 Riegersburg城は1415年以来、一度もトルコやハンガリーに負けま せんでした。 ガレリンは17Cに於いては異例の強力な女性で、3度の結婚をし、 一人の娘を持ちます。 そして城を大拡張するなど最初は精力的に 働きますが、次第に暴君化してゆきます。 娘は「魔女裁判」を行った裁判官Purgstal伯爵と結婚をしますが、 Purgstall家は1800年に絶滅します。 1882年、城はリヒテンシュタインのJohann Josef 公爵に買い取られます。 それから今日に至るまで、Rigersburg城はリヒテンシュタイン候の所有とな っています。 |