Riegesburg城

歴史

Riegersburug城は、1122年に騎士Ruediger von Hohenberg,により建て
られました。大昔には火山であった高さ482m丘の上に建てられ、建材に
は玄武岩が使われています。 

2003年にできたエレベーターのおかげで、このお城まで上れるように
なりました。魔女博物館と拷問室が見学できます。

面白いのは城主が数世紀にわたり入れ替わっていることです。
歴代城主の中でもWalseer家が重要な役割を果たします。

Walseerはシュタイヤマークの配下に入る事を拒み、1415年には
シュタイヤマークに城を取られてしまいますが、2年後の1417年
には取り戻します。

しかし何と言っても歴代城主の中で有名なのは、Katharina Elisabeth です。
彼女はGallerと結婚をしGallerinと呼ばれます。 Gallerinは1637〜1653年
にかけて城を大拡張し、この城をオーストリアで一番強固な城の一つとします。

城の規模は、2マイルに及ぶ城壁、5つの門、2つの堀、そして108にも及ぶ
部屋です。当時17Cにはトルコ大帝国の最盛期であり、オーストリアは常に
トルコと戦っていました

Riegersburg城もトルコとの国境は15から20マイルの所、ついに近隣の
Mogersdorfで1664年、トルコトの間に大戦争が勃発します。 村民はす
かさずこのRiegersburg城に逃げ込み、身の安全を計ります。

時には2、3000人の人々が逃げ込みますが、彼等の命は助かります。 
Riegersburg城は1415年以来、一度もトルコやハンガリーに負けま
せんでした。

ガレリンは17Cに於いては異例の強力な女性で、3度の結婚をし、
一人の娘を持ちます。 そして城を大拡張するなど最初は精力的に
働きますが、次第に暴君化してゆきます。 

娘は「魔女裁判」を行った裁判官Purgstal伯爵と結婚をしますが、
Purgstall家は1800年に絶滅します。

1882年、城はリヒテンシュタインのJohann Josef 公爵に買い取られます。
それから今日に至るまで、Rigersburg城はリヒテンシュタイン候の所有とな
っています。







inserted by FC2 system